@misc{oai:jrckicn.repo.nii.ac.jp:00000755, author = {MORIYAMA, Masaki and 守山, 正樹}, month = {Dec}, note = {video/mp4, application/pdf, 新型コロナウイルスの流行が続く中、「手洗い」「マスク装着」に加えて「体温測定」が、個人の健康管理の重要項目になっています。飲食店では入り口で体温測定が求められます。体温によるスクリーニングが私たちの日常になってきました。では体温測定の特徴は何でしょうか。  手洗いは流水があればできます。マスクは購入できなければ、自作することが考えられます。しかし体温計の場合、自作は無理で、購入する必要があります。今年(2020年)体温計も一時は品薄になりました。現在は千円以下でも電子体温計を購入できます。以下では体温計の歴史をお話しします。 ナイチンゲールと体温  まず出発点としてナイチンゲール、「看護の覚え書Notes on nursing,1859」を引用します。 「保温に細心の注意が求められるとき。注意深い看護師は、常に病人に眼を注ぎ続けているが、とりわけ体力のない患者、病気の長引いている患者、衰弱した患者などのばあいには、体熱の産生能力の低下がもたらす結果を用心して見守る。 ある種の病状においては、健康時よりも体熱の生成がはるかにすくなくなり、体温を保持するために体力を要求されるので、生命力の衰弱は刻々とすすみ、ついには死への転帰をとることさえある。このような事態が発生したばあいには、1時間ごとに、いや1分ごとにと言いたいくらいであるが、細心の注意をもって看護にあたらなければならない。患者の足先や脛(すね)にときどき手を当てて温度を確かめ、冷え込みの徴候を見つけたばあいは、そのたびに、湯たんぽ、暖めた煉瓦、暖めたフランネル地などをあてがい、同時に温かい飲み物を与えるなどして、体温が回復するまで手当を続けなければならない。(看護の覚え書Notes on nursing,1859 p31)」 ナイチンゲールの時代の体温計  ナイチンゲールの時代、体温計はどうなっていたのでしょうか。「看護の覚え書き」は1859年に出版されました。その8年後、1867年に、Thomas Albuttが小型の医学的な体温計を開発しました。Albuttによる体温計は6インチ(ほぼ15㎝)5分間で体温を測れた、とされます。 では、看護師が病棟でふつうに体温計を使い始めたのは、いつ頃でしょうか。図に示すのは1900年当時、カナダで看護学校の卒業式にプレゼントされていたというシャトレーヌ(アクセサリー)です(Bates et al.2005)。看護師に必須のアイテムを吊り下げたとされ、ペンナイフ、鉛筆、マッチケースなどとともに体温計ホルダーも含まれていました。 明治中期、日本の体温測定  1893年(明治26年)明治から大正にかけて活躍した教育者・下田 歌子が1893年に出版した女学校用の教科書 『家政学』下巻185頁には体温測定の原則が明示されています。 「髄温は通常,朝夕二回に,測るべしといえども、病歴によりては、数回、測らざるべからざるをあり。・・・体温器は、腋下に挿みて検するを常とす。その局部の汗を拭ひて,肘 を脇側に密接せしめ、その間に挿入し、15分間にして、その度数を点検すべし。・・・」 日本の体温計事情  では20世紀前半、スペイン風邪が流行していた前後の時代、体温測定はどの位普及していたのでしょうか。朝日新聞の聞蔵Ⅱで検索した結果を中心に紹介します。 明治中期、体温器を船旅1ヵ月半で輸入  「1903年(明治36年)10月2日 東京/朝刊 5頁 5段 記事 ◆体温器に就て:従来本邦各医家間に使用せらるる体温器はおもに独逸(ドイツ)より輸入せられ、しかしてその多くは同国においてあらかじめ輸出向けとして粗製乱造せるものに係り品質不良なるのみならず、その輸入せらるるに当たりてや航路一旦熱帯地圏を横断せざるべからざるをもって、幾分か目盛に狂いを生じ、ますます不正確となれるものあれど、そのままこれを医療上に使用し、一向注意を払わざるは不親切の極みなり、しかもその不正確より惹き起こす誤りは、患者に対して意外の結果を招き、危険至極の沙汰なれば、じらいその職にある人は、十分この点に留意し吟味に吟味を加えし上、始めてこれを使用することを希望する。」  体温計は、この当時、体温器・検温器とよばれていました。明治時代、はるばるドイツから、船で一か月半をかけて体温器を輸入し、途中で熱帯を通過することも、目盛りを狂わせていたんですね。 1918(大正7年)日本製の検温器  「1918年(大正7年)」6月1日 東京/朝刊・小さな工場主となつて自ら機械を作る鶴田博士 四年間苦心の末、検温器を製作 奥様の内助の功も一通りでない。;(鶴田博士は)大正3年頃から検温器製作を思い立ち、ほとんど4年にわたる苦心の結果、昨年の末になって、ようやく思う通りの検温器が出来上がった、これを製造する際に二つの大きい困難があった、一つはこれに用いる硝子管製造、もう一つは正確なる標準寒暖計と対照して度目盛を施すことであったが、博士は二つともこの困難にて打ち勝ち、度目盛りは中央気象台の寒暖計に則り、硝子も理想に近いものを得た。・・・」  さて、以上の記事が書かれた1918年は、スペイン風邪の世界的大流行が始まった年です。体温計の普及が進んだと考えられます。 昭和初期、体温計の選び方  次は当時の体温計の選び方についてです。  「1927(昭和2)年11月3日 東京/朝刊 7頁 1段 記事 ◆体温計の選び方。 体温計の製造法は近頃大いに進歩してきたから目立って狂ったものはないが買うときには選び方にご注意。目盛り線は細くはっきり読みやすいもの。線の隔てが一様のもの。ガラス面にアルカリその他の結晶物のないもの。水銀線の切断しないもの。体温と一致するまでの時間があまりかからぬもの。体温計には30秒計とか1分計3分計など名づきのものもある。しかし統計から見ると、やはり脇の下では7分から15分を要する。近頃は素人にも一目ではっきり分かるのが出来ている。すなわち平熱から最高熱までの6種の熱の度盛りを、それぞれの色彩で区切ったもの、いたって便利な体温計がある。」 昭和初期、体温計の使い方  さて、昭和初期の体温計、どのように使っていたのでしょうか。  「1936年(昭和11年)10月23日 東京/夕刊 4頁 7段 記事 ◆なぜなぜ問答/体温計の水銀が振らねば下らぬのはなぜでしょう? 部屋の温度を測る普通寒暖計は自然に上(のぼ)ったり下ったりしますが、体温器の水銀は上れば上ったきりでその場所にとどまり、振りおろさなければ下り(おり)ません。それは水銀の通る道が一カ所非常に細くなって曲がっているので、水銀が膨張して上る時は上っても、温度が下がるとここで水銀が上下に切れ、上の方の水銀が細いところに、ひっかかるからです なお体温器を使ったら、その都度忘れずに振って、水銀を元に戻しておくことです。」  さて、学生の皆さんは、この記事にあるような水銀体温計を見たことがありますか? 水銀を用いる体温計は、私が医学部を卒業した後も、1980年代まで世界中のあらゆる医療機関で用いられていた、最も重要な医療器具だったと言えます。 戦前、体温計の性能チェック  「1938年(昭和13年)12月28日 東京/夕刊 2頁 9段 記事◆狂える体温計調べ。 感冒流行期に入って 東京市用度課では品川ほか3区の小学校20校に出張して20日間にわたって一般家庭の体温計無料検査を行ったが、2636本の検査品中6.6%の174本が不良品と判明した。」 戦中、戦略物資としての体温計  「1943年(昭和18年)7月26日 東京/朝刊2頁3段 記事 ◆暑さに勝抜く力 勤労、錬成に逞し学童の姿<写>。 ここ渋谷区幡ヶ谷原町の仁丹体温計会社工場へは代々木校の男生徒20名と女生徒21名が勤労奉仕に配属され、野戦病院へ、軍病院へ、そして銃後の健民と保健に欠かされぬ体温計増産に一役。綿密な注意と微細な手先の要る職場にはうってつけの奉仕を1日8時間がっちりと続けている。写真下は体温計と取り組む学童たち。」  「1944年(昭和19年)9月27日 東京/朝刊 3頁 10段 記事 ◆疎開学童に体温計: 集団疎開学童50人に一本の割で体温計が配給されます。これは文部省の学童保健対策布石のひとつ、今年中に2回にわたる配給を行ってどんな山の奥の寮舎へも、もれなく行きわたらせる。」  さて、今日はナイチンゲールの時代から20世紀半ばまでの体温計事情をお話ししました。  学生の皆さんにとって、体温測定は、あえて意識する間もなくできてしまう、当たり前の簡単な行為になっているかもしれません。しかし体温計は、マスクのような自作は不可能な、高度な計測機器です。かっては戦略物資とも位置付けられていました。また私たちの最も身近で、日々行っているスクリーニングの方法でもあります。これを機会に、体温を計測する意味や、スクリーニングの考え方を、振返ってください。 References  朝日新聞(1903)体温器について. 東京/朝刊,5頁5段,明治36年10月2日.      (1918)小さな工場主となって自ら器械を作る. 東京/朝刊,5頁4段,大正7年6月1日.      (1927)体温計の選び方. 東京/朝刊,7頁1段,昭和2年11月3日.      (1936)なぜなぜ問答.東京/夕刊,4頁7段,昭和11年10月23日.      (1938)狂える体温計調べ.東京/夕刊,2頁9段,昭和13年12月28日.      (1943)暑さに勝抜く力.東京/朝刊,2頁3段,昭和18年7月26日.      (1944)疎開学童に体温計.東京/朝刊,3頁10段,昭和19年9月27日.  Bates C, Dodd D, Rousseau N. ed. (2005) On all frontiers: Four Centuries of Canadian Nursing. University of   Ottawa Press. p79.  Britannica Online Encyclopaedia. Sir Thomas Clifford Allbutt. https://www.britannica.com/print/article/16002     (accessed 2021 -01-06).  内務省衛生局(1922)流行性感冒;スペイン風邪大流行の記録./翻刻(2008)東洋文庫778,東京:平凡社.  Nightingale Florence著/湯槇ら訳(1860)看護覚え書Notes on nursing./改訳第7版(2011),東京:現代社,1‐299.  下田 歌子(1893) 家政学,下巻.東京:博文館,1‐185, 国立国会図書館デジタルコレクション.   https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848267 (accessed 2021 -01-06)}, title = {Covid-19禍のもとで体温計の意味を考える ; 20世紀前半までの事情を中心に}, year = {2020}, yomi = {モリヤマ, マサキ} }