@misc{oai:jrckicn.repo.nii.ac.jp:00000753, author = {MORIYAMA, Masaki and 守山, 正樹}, month = {Dec}, note = {video/mp4, application/pdf, 感染症を防ぐ方法の一つがマスクです。新型コロナウイルス(Covid-19)が今年(2020)の始めに流行し始めて以来、学生の皆さんもマスクで頭を悩ませることが多かったと思います。この100年ほどの間に、マスクの捉え方がどう変わったのか、お話しします。 1.マスクを覆面といっていた明治後期  明治後期には、マスクという表現はあまり使われなかったようです。マスクを覆面としていた朝日新聞の記事を紹介します。 ・朝日新聞1905年12月29日(明治38年)  昨今の湯屋と理髪店。毎年冬季に入ると共に市内の各湯屋はいづれも薪の高値というのを盾にとって入浴料の値上げをするのが一の慣例になっていたのだが、近年はこの悪例はほとんど絶無となって、場末を捜しても値上げのビラを看ることはできなくなってしまった。・・・各理髪店が警察の監視が緩んでいるのを幸い消毒を無視する不都合はいうまでもないことだが、実に危険千万なことである。それに下剃などが往々馴染み客などと馬鹿口をきく、その時のフリ客などは残酷なもので、遠慮なく吹きかけられる毒気をかがされ、いっぺんで怖気をふるって再びその見世(理髪店)へ出かける勇気もなくなってしまうものだが、消毒励行の他に職人の鼻口へかけて覆面せしむることは必要なことであろうと思う。もっとも一二の高等理髪店が既に覆面を励行していることは聞いているが、この覆面だけは是非とも一般に行わしめたいものである。 さて、以上の記事にでてきたのは明治時代の理髪店です。当時あった電気器具は電灯のみ。ラジオ放送開始はこの記事の20年後です。お湯はどうやって沸かしていたのでしょうか。「床屋さんが顔を剃りながら大声で話す、その毒気を避けるため、覆面してもらう」とはどんな状況だったのでしょうか。想像してみてください。 2.100年前のスペイン風邪とマスク  今から100年前、私たちの前の世代の人たちも同じような感染症、スペイン風邪の流行で大変な思いをしていました。「スペイン風邪」とは1918年から1919年にかけ世界的に大流行したH1N1亜型インフルエンザを指します。当時の日本の人口5500万人に対し約2380万人(43%)が感染し、約39万人が死亡したとされます。100年前のマスク事情はどうだったのでしょうか。 ・朝日新聞1919年2月5日  まずスペイン風邪流行のただなかにあった1919年2月の朝日新聞から引用します。 1919年2月5日(大正8年)感冒の注意書き;昨日警視庁から発表;かくすれば予防ができる;1日に300人死ぬ;安政の虎疫(こえき、コレラのこと)以上各人注意すべし(国沢医務課長談)。  流行性感冒、今年に至り再び猖獗を極め病状悪性となり、ために死亡する者多きより、昨日岡警視総監と井上(東京)府知事の名をもって、左の予防上の注意事項を発表せり。(1)やむを得ざる場合のほか、多衆(多くの人)集合する場所に立ち入らざること、(2)外出する時はなるべく呼吸保護器もしくは布片(ふへん、布切れ)または紙片(紙きれ)をもって鼻口をおおうこと、・・(3)呼吸保護器を用いざる者電車内その他多衆集合する場所において、咳嗽(せき)噴嚏(ふんてい、くしゃみ)をなす時は布辺または紙片等をもって必ず鼻口をおおい、唾液鼻汁の泡沫を飛散せしめざるよう注意すること、・・・。  以上の引用箇所には、マスクという言葉は見当たらず、布や紙の切れ端で鼻と口を被うと表現されていました。しかしこの2週間後の記事を見ると、簡易呼吸保護器という漢字に「マスク」とふり仮名がふられていました。以下、引用します。 ・朝日新聞1919年2月18日  女学生に呼吸保護器を;東京府学務課では先般、簡易呼吸保護器/マスクの見本を府立各学校に送って、これが使用を奨励しているが、右器具は、白ガーゼの長さ4寸幅(12.12cm)/2寸(6.06cm)くらいの大きさで4枚合わせとし、その中に脱脂綿を一分(3.03mm)位の厚さに延ばして口に当てるのですこぶる簡単である。これは女子師範、第一、第二府立高等女学校で使用を奨励しているが、また府立第三高女では40余名の教員をはじめ800名の生徒、小使、給仕に至るまで本式のマスクを使用するに決し、昨日は全部間に合わないので、約半数だけが実行していた。・・・ 3. 100年前と現在のマスク事情  今年(2020年)の新型コロナウイルス流行では、1月下旬ごろから店頭でのマスクの品薄が目立ち始めました。当時の安倍首相が政府対策本部で「5千万余りの全世帯へ2枚ずつ布マスクを配布する」との方針を打ち出したのは4月1日です。では100年前のマスク事情はどうだったのでしょうか。1922年刊行の書籍「流行性感冒、スペイン風邪、大流行の記録、内務省衛生局」から引用します。 ・流行性感冒1922年  流行性感冒、スペイン風邪、大流行の記録、内務省衛生局、1922年(大正11年) 「マスクの補給に関しては単に坊間(ぼうかん、市中の)商人にその製造販売を委任せしものありしも亦(また)府県費を以て材料を購入しこれを女子師範学校、高等女学校等の生徒をして学業に支障を来さざる程度において制作せしめこれを一般に実費を以て提供しあるいは警察官史等に無償交付をなしあるいは貧困者に無償給与をなしたるものあり、また愛国婦人会、私立衛生会支部、赤十字社支部、花の日会、仏教婦人青年会などにおいても簡易マスクを作成し一般に廉価を以て供給しあるいはこれを無償にて配布しこれが普及を図りたり、またガーゼを以て簡易なる自家製マスクの使用を奨励したる結果部落民申合わせてこれを励行したるもあり。団体的に普及を見たるは軍隊、工場、学校等にして軍隊においてはマスクを各自に配布し強制的にこれを使用せしめ工場においては工場主より職工に給与しこれが使用を督(とく)したるもの尠(少ない)からず学校児童に対しては衛生講話等によりてこれが使用を慫慂(しょうよう)し貧民児童に対しては市町村等において給与又は廉価を以て供給したるもの尠(少ない)からず。(198頁)」 ・過去から何を学ぶか  さてスペイン風邪当時と現在のCovid-19禍の下でのマスク事情を比較して、学生の皆さんは何を考えるでしょうか。1918年当時、福岡市内であれば電灯が普及し、電車も走り始めていました。しかし電灯以外の電気器具は一般の家庭には存在しませんでした。ウイルスという病原体が発見されるより15年も前のことです。ラジオも電話も存在せず、新聞と口コミと掲示板が情報源だった時代ですが、当時の人々は力を合わせて、ガーゼと脱脂綿を組合わせた呼吸保護器(マスク)を自作していました。 この100年間に私たちはどれだけ進歩したのでしょうか。考えてみてください。 References  朝日新聞 (1905)昨今の湯屋と理髪店. 東京/朝刊,6頁7段,明治38年12月29日.       (1919)感冒の注意書. 東京/朝刊,5頁2段,大正8年2月5日.       (1919)女学生に呼吸保護器を. 東京/朝刊,5頁10段,大正8年2月18日.  内務省衛生局(1922)流行性感冒;スペイン風邪大流行の記録./翻刻(2008)東洋文庫778,東京:平凡社.}, title = {Covid-19禍のもとでマスクの意味を考える ; 20世紀前半までの事情を中心に}, year = {2020}, yomi = {モリヤマ, マサキ} }