@misc{oai:jrckicn.repo.nii.ac.jp:00000644, author = {MORIYAMA, Masaki and 守山, 正樹}, month = {Sep}, note = {video/mp4, application/pdf, 皆さんこんにちは。今日は疫学の考え方の基本をお話しします。疫学は「人間集団での健康状態の分布と規定因子とを研究する学問」です。「集団における健康障害の予防、監視、管理を目的とした活動」ともいわれます。(公衆衛生学・社会医学における数理的な課題解明方法論の原点が疫学です) 1 流行  疫学的に考える出発点の現象が「流行」です。流行という言葉は、昔は伝染病の急性発生に限って用いられました。歴史は古く、古代ギリシャのヒポクラテスの著書には「流行Epidemics」との題名のものがあります。現在は「病気が普通の状態よりも余計にある状態」を指します。  流行はある事象(健康状態や疾病)の集積(集中して存在すること)を示します。その事象が“時間/空間/集団の次元”で偶然に起こるよりも頻繁に起こるのが「流行」です。時間的な集積で思い浮かぶのはインフルエンザなど急性感染症の流行です。空間的な集積として2014年8月現在は西アフリカ4カ国でのエボラ出血熱の感染拡大が問題となっています。特定の集団内に限定して発生するという集積もあります。集積を知る事は、疾病の原因究明や対策上、重要です。  流行の存在は、非流行期の病気の度数分布を知り、それとの比較で分かります。なぜ流行が起きたか、その要因(原因または関わりが深い出来事)を探り、流行をくいとめることが大切です。感染症のように多くの人が罹患し、誰にも病気であることが分かり、発生も短期間の場合は分かりやすい流行です。しかし急性流行でも、見慣れない形の場合は、当初、経験が少なく、流行が見過ごされた場合もあります。歴史的に有名なのは1952年ロンドンの濃霧のときの、死亡数上昇です。濃霧の健康影響はすぐには気付かれず、後で、その期間の死亡数を算出した結果、はじめて4千人以上の死亡者が出たことが分かりました。  ある集団で、ある疾病の度数が異常に低い場合も、流行の要因(原因)解明に役立ちます。有名なのは19世紀、ジョン・スノー John Snowによるコレラの集積の観察です。スノーはコレラの流行地の真ん中に、コレラの罹患率が非常に低い2群の人々、ある醸造工場の労働者とある授産所の居住者、を見出しました。この人々は、周囲の人々のようには一般の水道からの給水を受けていませんでした。この観察から「水道がこの流行に関係がある」との確信が強まりました。別な歴史的例として「子宮頸がんが修道女には実際上皆無に近い」との観察が知られています。こうした観察は、病因仮説の設定に影響を与えました。 2 疫学の歴史的背景 1)病気と環境  病気と人の環境とを結びつけて考える原点は、ほぼ2400年前のヒポクラテスです。 ヒポクラテスの著書「空気、水、場所」から引用します。  「正しく医を営むために行うべきこと:まず第一に年ごとの季節とその影響を考えよ。風、寒、暑、特に何処にもあるもの、地方特有のものを考えよ。はじめての町では、その方位、風向き、日出を考えよ。風、寒、暑は、南北により、日出、日没により異なるものなり。用いる水には細心の注意を払うべし・・。 そして、そこに住む人々の生活を見よ。いずれをなりわいとするか、多飲、暴食を好むか、怠惰か、勤勉かを・・」  ヒポクラテスの記述は観察中心で現象を数えてはいません。疫学は現象を数える段階が重要だが、ヒポクラテスはそこに達していなかった、との指摘もあります。しかし彼の正確な観察は疫学的発想の原点として重要です。 2)計数と測定  計量的手段を初めて疫学・生物学・医学に取り入れたのはジョン・グラント John Grauntです。グラントはロンドンの死亡週報、洗礼の教区記録を10年ごとに分析し、出生・死亡ともに男子が女子より多いこと、乳児の死亡率が高いこと、死亡率の季節変動、その他出生や死亡について多くの規則性を見出しました。  米国の研究者E D Stephan氏によるグラントの著作(Natural and Political Observations Made upon the Bills of Mortality (1662)の現代英語訳から、死因別の死亡数を見ると、1647年には流死産が335人に対しペストが3597人、翌1648年には流死産が329人に対しペストが611人など、感染症流行に伴なって年ごとに死因が大きく変動した当時の状況が伺えます。   グラントは、生物統計学の創始者として知られ、人口の推定と生命表の作成も初めて行いました。 3)自然の実験  現代の疫学の出発点とされるのがウィリアム・ファー William Farrです。ファーは1839年にイングランド・ウエールズの統計局で医学統計の仕事を始めた医師です。ファーは、金属鉱山など様々な職種の死亡率、監獄やその他の施設での死亡率、既婚者・独身者の死亡率など、様々な対象に関心を示し、実際の統計資料を活用して、公衆衛生の状況説明や推測を行いました。このように「自然の状態で起こる様々な疾病や出来事を観察し、規則性を見出し、仮説を立て、仮説検証をする考え方」は「自然の実験」と呼ばれます。 ファーと同時代、ビクトリア女王の出産でのクロロホルム投与で知られる医師がジョン・スノーです。疫学の分野ではスノーは、前述のロンドン・コレラ流行時の仕事で有名です。スノーは1849年、コレラの罹患率が特に高いのが、L社とS社が給水するロンドンの地区だと気づきました。この時2社はいずれもテムズ川から水を引いていましたが、取水点は下水でひどく汚染されていました。その後L社は水源を汚染の少ない地点に移動しましたが、S社は汚染した取水を続けました。当時の状況をスノーは以下のように述べています。  「S社とL社の給水は、ロンドンでは広範囲にわたり互いに入り乱れていた。このことは問題をふるいにかけ、いずれか一方に判定する際、最もよい決め手になった。・・・両社の水道管は道という道の全てに埋められ、ほとんどすべての横丁、路地に及んでいた。しかし、数は少ないが、いずれか一社だけからの給水を受けている家があった。・・・両水道会社の給水を受けている家にも、住民にも、その身体条件にも、差が見られないとすれば、水道のコレラの流行に及ぼす影響を調べる(自然の)実験として、この偶然与えられた条件は、全く完全に近いものであった。・・・30万人をくだらない男女、あらゆる年齢、職業、地位、階級を含む人々が、身分、貧富に関係なく、無作為に、多くの場合は知らないうちに(どちらかの会社の水を飲むという)2つのグループに分けられ、一方のグループにはロンドンの下水のはいった水、すなわちコレラ患者の排泄物も混ざっているはずの水が供給され、一方のグループには、汚染物の全くない水が与えられた。この(自然の)大実験の成績をみるには、コレラによる死者の出た家について各戸ごとに、ただその給水状況を調査すればよいのである」  こうしてスノーは、自然の実験から、異常な条件を追求することが仮説の検定に役立つことを示しました。 4)介入研究  疫学の知見は全体としては観察に基づくものが重要ですが、人で行った実験(介入研究)も歴史的に大きな役割を果たしました。 日本でも脚気について優れた介入研究が行われています。コッホがコレラ菌を発見した後、19世紀末は細菌学全盛時代、この頃日本で流行した脚気も感染症ではないかと疑われました。しかし当時、海軍軍医だった高木兼寛(たかきかねひろ)は「原因は食べ物!」と推定し、脚気の発生が多い集団の食事が白米中心だったことに着目して、大麦・大豆・牛肉が多い食事を推奨しました。高木は、この仮説を検証するため、前年の太平洋往復航海演習で、大量の脚気患者と死者を出した演習艦と同じ航路につき、今度は食事だけを変えて、再び異なる演習艦に航海させ、脚気の死亡者を出さないことに成功しました。その後、脚気に治療効果を示す物質ビタミンB1が米糠から発見されたのは、1911年になってからです。  さらに徹底した脚気の介入研究は、英国人ウィリアム・フレッチャー William Fletcherが1905年にクアラルンプールの精神病院で行いました。白米中心の食事に対し、蒸し米を比較した研究の様子をフレッチャーは以下のように書いています。  「患者は2つの同様な建物に収容されていた。建物の間には高い壁で囲まれた中庭があった。1905年12月5日、入院患者を全員、食事棟に整列させ、左から番号をつけた。奇数番号者は中庭東側の病棟に移され、食事は今まで通りとし、蒸さない米(白米、シャム米)が与えられた。偶数番号者は中庭西側の病棟に移され、東側の病棟の患者と同じ食事で、米だけは蒸し米(インド米)にした・・・」  この実験では病棟の差も調整され、1906年中頃には、東病棟の患者は西病棟へ、西病棟の患者は東病棟へ移されました。結局、1906年末までに蒸さない米を食べた群では120名中34名が脚気になり、18人が亡くなった。蒸し米を食べた群では132名中2名が脚気になり、死亡者はゼロでした。  蒸し米は、米をつく前にモミのまま蒸した米です。蒸すとビタミンB1は、モミと胚芽から拡散し、デンプンの多い米の芯に固定されるため、調理過程でビタミンB1が失われません。よって蒸し米を食べた人は、脚気にかかりませんでした。 3 疫学研究の分類  最後は疫学研究の分類をお話しします。疫学研究は、観察研究と介入研究の二つに大きく分かれます。  観察研究とは、要因曝露と疾病罹患との関連に人為的な操作を加えず、観察のみから疾病の原因に迫る研究です。要因曝露と疾病との関連の観察にとどまる「記述疫学」、仮説設定に至る「生態学的研究・横断的研究」、仮説検証に至る「コホート研究・症例対照研究」があります。  介入研究とは、どちらかの群に特定の薬物を投与したり、特定の指導を行うなど、人為的に要因曝露を操作し、その前後の疾病の発生や予後の変化を実験的に確かめる研究です。対象者を介入/対照の2群に割り付ける方法により「ランダム化比較試験」と「非ランダム化比較試験」に分かれます。  さて今日は疫学の基本をお話ししました。臨床医として目前の患者さんの疾病の診断や治療に従事する場合、最適な診断や治療方法を選択する際には臨床疫学やEBMの知見が役立ちます。一方、公衆衛生医として患者さんだけでなく、社会の健康状態に目を向ける場合、集団を対象とする疫学は最も重要な方法論です。 キーワード   流行、ヒポクラテス、事象集積、時間・空間・集団の次元、非流行期、度数分布、ロンドン濃霧、ジョンスノー、コレラの罹患率、病因仮説、ヒポクラテス、空気・水・場所、計数と測定、ジョングラント、生物統計の創始者、人口推定、生命表作成、自然の実験、ウィリアムファー、介入研究、脚気、高木兼寛、太平洋往復航海演習、ウィリアムフレッチャー、蒸し米の研究、疫学研究分類}, title = {疫学の基本1 : 疫学の考え方}, year = {2016}, yomi = {モリヤマ, マサキ} }